いろいろと考えたあげくにこちらはしばらく休止します。
広告が入らなくてシンプルでよいのですが、使い勝手がいまいち私に合っていないので下記に記事アップします。
ご面倒をおかけします、どうぞ下記へ。
http://ameblo.jp/takumics/
2010年8月2日月曜日
遙か彼方にはオルヴィエートの町が
石造りの宿
ヴィラの部屋の前にはゆったりくつろげるように椅子とテーブル
家具のテイストも主張しすぎずGood
プールで日光浴する宿泊客
夕暮れのプールには西洋のツバメ?
朝食
夕食は外のプールの前でオルヴィエートを眺めながら
ラベンダー畑の西洋のアゲハチョウ
前々回紹介のオルヴィエート、さらに最高だったのがオルヴィエート郊外の宿、ホテルというよりもヴィラ。
車でしか行けない郊外の田舎の一本道を行くとゲートがあり、ゲートをくぐるとそこからもうヴィラの敷地でしょうか、ヴィラに通じる一本の長い砂利道、左右は畑、まるで北海道のような場所。
突き当たりまで車で行くとそこにあるヴィラ。
敷地にはヴィラ、プール、スパ、庭があり、価格は一部屋200ユーロでしたが、倍以上するのではないかと思うくらいのロケーションとサーヴィスと施設、ヴィラはほんの数戸で高いところで2階建てなので落ち着いてゆったりとできました。
泊まった部屋は緑に囲まれて二部屋、リビングと寝室があり、ナチュラルテイストで自然光の柔らかい光が入ってきてすごく落ち着きました。
食事はプールの前のパラソルの下で日差しを避けながら遠くにそびえるプッチンプリンのオルヴィエートを眺め、目を閉じると音はプールの横にあるラベンダー畑のハチの羽音と鳥のさえずりしかしない。
本当に静か。
高級ホテルにありがちなバブリーなプールがあってという雰囲気は全くなく、ヨーロッパの石造りを基調とした牧歌的な環境の中にもセンスのある建物やアートなオブジェ、今まで行った宿の中では最高の思い出でした。
ここは絶対にツアーでは来られない秘境とも言うべきヴィラなのでしょう、一泊しかしなかったのがもったいない、ここにもう一度泊まりたいのでまたイタリアに行けるように頑張ります。
日本は戦後処理からアメリカナイズされてきましたが、歴史の浅いアメリカよりも伝統ある歴史のヨーロッパ文化がますます好きになりました。
さぁ、明日は滅び行く町に車で向かいます。
石造りの宿
ヴィラの部屋の前にはゆったりくつろげるように椅子とテーブル
家具のテイストも主張しすぎずGood
プールで日光浴する宿泊客
夕暮れのプールには西洋のツバメ?
朝食
夕食は外のプールの前でオルヴィエートを眺めながら
ラベンダー畑の西洋のアゲハチョウ
前々回紹介のオルヴィエート、さらに最高だったのがオルヴィエート郊外の宿、ホテルというよりもヴィラ。
車でしか行けない郊外の田舎の一本道を行くとゲートがあり、ゲートをくぐるとそこからもうヴィラの敷地でしょうか、ヴィラに通じる一本の長い砂利道、左右は畑、まるで北海道のような場所。
突き当たりまで車で行くとそこにあるヴィラ。
敷地にはヴィラ、プール、スパ、庭があり、価格は一部屋200ユーロでしたが、倍以上するのではないかと思うくらいのロケーションとサーヴィスと施設、ヴィラはほんの数戸で高いところで2階建てなので落ち着いてゆったりとできました。
泊まった部屋は緑に囲まれて二部屋、リビングと寝室があり、ナチュラルテイストで自然光の柔らかい光が入ってきてすごく落ち着きました。
食事はプールの前のパラソルの下で日差しを避けながら遠くにそびえるプッチンプリンのオルヴィエートを眺め、目を閉じると音はプールの横にあるラベンダー畑のハチの羽音と鳥のさえずりしかしない。
本当に静か。
高級ホテルにありがちなバブリーなプールがあってという雰囲気は全くなく、ヨーロッパの石造りを基調とした牧歌的な環境の中にもセンスのある建物やアートなオブジェ、今まで行った宿の中では最高の思い出でした。
ここは絶対にツアーでは来られない秘境とも言うべきヴィラなのでしょう、一泊しかしなかったのがもったいない、ここにもう一度泊まりたいのでまたイタリアに行けるように頑張ります。
日本は戦後処理からアメリカナイズされてきましたが、歴史の浅いアメリカよりも伝統ある歴史のヨーロッパ文化がますます好きになりました。
さぁ、明日は滅び行く町に車で向かいます。
2010年7月26日月曜日
イタリア旅行(Vespa Vespa Vespa)。
ラージボディと呼ばれる大きい型のベスパ
同じくラージボディのベスパ、やっぱり白がいいなぁ
お尻のラインも美しい
新型タイプのVespa LXかな?
あくまでもVespaが主役です
変な東洋人をいぶかしがるイタリアの女性
おっちゃん その1
おっちゃん その2
日本でもイタリアでも人気のヘルメットMOMO DESIGN
ちょっとここで写真を紹介させていただきました。
私の大好きな乗り物、Vespa。
Vespaと言えばローマの休日でヘプバーンが乗っていた。
イタリアデザインは男心をくすぐるものもありますが、Vespaのようにかわいらしい曲線のデザインもイタリアの工業デザインの特徴なような気がします。
イギリスではVespaは60年代にモッズの乗り物とされ、Triumphに乗るロッカーズと対立するスタイルであったとされています。
Vespaと言えば私もかつて所有していたVespaの50ccエンジンを学生時代住んでいたワンルームマンションの部屋で88ccエンジンに載せ替えて腰痛になったことが痛い思い出です。
デザインが素敵、お尻が素敵、壊れやすいがすぐ直る、そして運転も楽しい。
また乗りたい。。。
同じくラージボディのベスパ、やっぱり白がいいなぁ
お尻のラインも美しい
新型タイプのVespa LXかな?
あくまでもVespaが主役です
変な東洋人をいぶかしがるイタリアの女性
おっちゃん その1
おっちゃん その2
日本でもイタリアでも人気のヘルメットMOMO DESIGN
ちょっとここで写真を紹介させていただきました。
私の大好きな乗り物、Vespa。
Vespaと言えばローマの休日でヘプバーンが乗っていた。
イタリアデザインは男心をくすぐるものもありますが、Vespaのようにかわいらしい曲線のデザインもイタリアの工業デザインの特徴なような気がします。
イギリスではVespaは60年代にモッズの乗り物とされ、Triumphに乗るロッカーズと対立するスタイルであったとされています。
Vespaと言えば私もかつて所有していたVespaの50ccエンジンを学生時代住んでいたワンルームマンションの部屋で88ccエンジンに載せ替えて腰痛になったことが痛い思い出です。
デザインが素敵、お尻が素敵、壊れやすいがすぐ直る、そして運転も楽しい。
また乗りたい。。。
2010年7月19日月曜日
イタリア旅行(オルヴィエート旧市街編)。
次に訪れたのは人口たった2万人、丘の上に作られた要塞都市オルヴィエート。
紀元前からエトルリア人が住んでいましたが、紀元前280年ごろにローマ人に攻め落とされたそうです。
僕はこういう歴史ある田舎町が好きです。
カフェの店員も話しかけると都会と違って優しい笑顔で人がよさそうな感じがしました。
オルヴィエートの旧市街は写真のようにプッチンプリンのカラメルソースのように丘の上にあるので駅のある麓の新市街からそこに頂上に行くためには車が必要。
バスやロープウェイという手段もありましたが今回、国際免許を取得して現地で車を借りて運転をしました。
車はイタリア車FIAT、車種はパンダ、日本で言うと日産マーチみたいなものでしょう。
僕のバイク、旧車のトライアンフ(イギリス)は国産の左ギヤチェンジでなく右チェンジだから、逆でもきっと大丈夫、と根拠のない自信。
ヨーロッパではオートマチック車は珍しくほとんどミッション、無論レンタカーもミッションで左ハンドルで右側通行、全て日本と逆、そういうプレッシャーも楽しいです。
町のマップをレンタカー屋で貰いました。
運転するとヨーロッパの車は日本の車と比べてギヤ比が高いと思いました。
つまり、日本では1速→2速→3速→4速と、速度が上がるにつれてこまめにギヤを変えなければならないのに対し、ヨーロッパはギヤ比が高く、2速と3速使用がほとんど、ですがオルヴィエートの坂道はやはり2速でないとパワーが出ませんでした。
ということは日本の5速よりもヨーロッパの5速はより速い速度で走るということですね、欧州の道路事情でしょうね。
欧州はディーゼルが主流ですが借りたパンダはガソリン車、ガソリンスタンドでは軽油を入れられないように必要最低限のイタリア語は少し覚えておきました。
旧市街の旅行者はイタリア人、欧州人ばかり、他の東洋人は一人も居ませんでした。
旧市街にあるサン・パトリツィオの井戸、16世紀に起こったローマ略奪でここに逃れてきた教皇クレメンス7世が作らせた遺産です。
直径13m・深さ62mという縦穴で長い螺旋階段を降り底に水を汲みに行きます。
先に入っていた旅行者とハチ会うことなく地上に戻ってきて、あれ?と気付きましたが、水運搬が効率よくできるように、階段は上りと下りが別々に設けられ人がハチ会うことなく二重螺旋状になっています。
日本のように電線と電飾の看板とアスファルトとコンクリートではなく、ヨーロッパはなんと歴史を大事にしていることか。。。
石畳、石造りの建物、緑や花が調和して、看板があっても手書きの看板が多かったです。
次はここで宿泊したとてもセンスのよい宿を書きます。
紀元前からエトルリア人が住んでいましたが、紀元前280年ごろにローマ人に攻め落とされたそうです。
僕はこういう歴史ある田舎町が好きです。
カフェの店員も話しかけると都会と違って優しい笑顔で人がよさそうな感じがしました。
オルヴィエートの旧市街は写真のようにプッチンプリンのカラメルソースのように丘の上にあるので駅のある麓の新市街からそこに頂上に行くためには車が必要。
バスやロープウェイという手段もありましたが今回、国際免許を取得して現地で車を借りて運転をしました。
車はイタリア車FIAT、車種はパンダ、日本で言うと日産マーチみたいなものでしょう。
僕のバイク、旧車のトライアンフ(イギリス)は国産の左ギヤチェンジでなく右チェンジだから、逆でもきっと大丈夫、と根拠のない自信。
ヨーロッパではオートマチック車は珍しくほとんどミッション、無論レンタカーもミッションで左ハンドルで右側通行、全て日本と逆、そういうプレッシャーも楽しいです。
町のマップをレンタカー屋で貰いました。
運転するとヨーロッパの車は日本の車と比べてギヤ比が高いと思いました。
つまり、日本では1速→2速→3速→4速と、速度が上がるにつれてこまめにギヤを変えなければならないのに対し、ヨーロッパはギヤ比が高く、2速と3速使用がほとんど、ですがオルヴィエートの坂道はやはり2速でないとパワーが出ませんでした。
ということは日本の5速よりもヨーロッパの5速はより速い速度で走るということですね、欧州の道路事情でしょうね。
欧州はディーゼルが主流ですが借りたパンダはガソリン車、ガソリンスタンドでは軽油を入れられないように必要最低限のイタリア語は少し覚えておきました。
旧市街の旅行者はイタリア人、欧州人ばかり、他の東洋人は一人も居ませんでした。
旧市街にあるサン・パトリツィオの井戸、16世紀に起こったローマ略奪でここに逃れてきた教皇クレメンス7世が作らせた遺産です。
直径13m・深さ62mという縦穴で長い螺旋階段を降り底に水を汲みに行きます。
先に入っていた旅行者とハチ会うことなく地上に戻ってきて、あれ?と気付きましたが、水運搬が効率よくできるように、階段は上りと下りが別々に設けられ人がハチ会うことなく二重螺旋状になっています。
日本のように電線と電飾の看板とアスファルトとコンクリートではなく、ヨーロッパはなんと歴史を大事にしていることか。。。
石畳、石造りの建物、緑や花が調和して、看板があっても手書きの看板が多かったです。
次はここで宿泊したとてもセンスのよい宿を書きます。
2010年7月15日木曜日
イタリア旅行(フィレンツェ編)。
フィレンツェの位置と紋章
フィレンツェの市場
さて、ローマより日本の新幹線にあたるユーロスターに乗ってフィレンツェへ。地図で確認しますと、首都ローマの北、人口36万人のトスカーナ州の都市。
地図の赤いマークは都市のシンボルマークです。
よく目にしますね、似たような形は。
フィレンツェは日本の京都のような場所でしょう、ルネサンス期に栄華を極め歴史ある建物で囲まれています。
ここでは皆さんもご存じのダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロと言った芸術家が活動をしました。
到着後ホテルにチェックイン、一部屋120ユーロ。
綺麗なホテルで日本人ビジネスマンを多数見かけました。
ロケーションは駅の近くでホテルの前は都会的な市電が通っています。
まずはイタリア時間の昼過ぎより行われるワールドカップ決勝トーナメント、パラグアイ戦が観られるか?
イタリアはサッカー王国なので勿論放送すると思っていたら、テレビをチェックしてもその気配なし。。。
この時すでにイタリアはトーナメント敗退が決定しており、フロントの係に聞いても、知らない、との事、もうW杯なんてどうでもいいのでしょう。
仕方がないので、街へ出てバーを探すこと数分、なにやら人だかりが。
やっていました、アイリッシュバーでの日本対パラグアイ戦。
世界どこに行ってもアイリッシュバーはありますね。
そのバーには日本人が5,6人集まっておりました。
結果はご存じのとおり、肩を落としガックリ道へトボトボ。
あとの楽しみは私の好きなポルトガルを応援するのみです。
フィレンツェには私も香水を持っていますが、サンタ マリア ノヴェッラ薬局本店があります。
ここの建物は1221年に修道僧が薬草を栽培し調合したのが始まりで1612年には薬局として認可され一般営業を開始したそうです。
僕はここの香水が好きです。
日本では少々高いのですが、きつい匂いでなく、気品のある香りがするからです。
世界史で覚えていますか?富豪のメディチ家。
時代を動かしたメディチ家から王家御用達製錬所の称号を受けたそうです。
800年以上の歴史を持つ伝統を守り、オーデコロンや石鹸、ボディーケア製品を昔からのレシピに基づいて作り続けている、とWikipediaにも書いてありました。
市内にあるドゥオーモの塔の上に登り、螺旋状の石造りの階段を延々と上って行く眺めは絶景です。
塔の頂上から街を見下ろしましたが、私はプチ高所恐怖症なのでそれっきり下は見ないようにしました。
さあ、ここまでは日本人でも名の知れた街ばかりでしたが、次はちょっと個人旅行でしか行くことのできない、日本人にはあまり馴染みのない場所や隠れたイタリアの場所を紹介していきますのでお楽しみに。
2010年7月9日金曜日
イタリア旅行(ローマ編)。
ESユーロスターという日本でいう新幹線
トレヴィの泉
ローマ市内の石畳
さて、成田からアリタリア航空に搭乗し12時間ほどの旅に出ました。
CAサンはラテン系の顔立ちで目鼻立ちがくっきり。
機内の放送は英語とイタリア語。
どんぶらこ、と揺られ、ローマ郊外のフィウミチーノ空港に降り立つと、カラッとした暑さ。
日本よりも暑かったですがやや湿気は少ないような気がしました。
空港駅からローマのテルミニ駅に向かいます。
空港からの電車は落書きだらけ。
敢えて載せませんが、電車の脇の塀にもそこいらじゅうにスプレーで落書き、大丈夫か、ローマ。
しかし、テルミニ駅を出るとローマは世界遺産の数が世界一、史跡が待っています。
ちなみにイタリアは観光大国だそうです。
かつてローマ帝国の栄えた街の道路は石畳。
全ての道はローマに通じる、と言われ、当時の面影がそこらじゅうに残っています。
やはり日本と違いヨーロッパは古きものがたくさん残っています。
宿はインド?パキスタン系の多く住む駅近くのホテルに日本から予約し、とりあえず一部屋85ユーロ、一泊予定です。
ホテル入り口のドアホンを鳴らすが、誰も出てこず、中から出てきたおそらくイギリス人の旅行者に聞いてやっとロビーが分かる。
2階の離れにあり、アパートと一緒になっているから分かるわけない、旅行者のイギリス人も分からなかったと言っていた。。。
フロントのお兄さんに、こんな案内では分からないよ!15分も待ったよ、と説教。
お兄さんは素直にごめんね、水あげるから許して、と。
次の日、ドアホンにはホテルの名前がきちんと書かれた紙が貼ってありました。
業務改善してくれたし、スタッフは笑顔で優しかったので印象はとてもよかったです。
私はある程度旅行英語は話せますが、こちらの英語はなまりがひどい人も多く聞き取るのも一苦労。
それから、イタリアはスリが多いと聞きました、どこでも回りに気をつけておりました。
声をかけてきたり、やけに近寄ってきたり、子供使って気を惹いたり、あらゆる手段でガードの甘い日本人を騙そうとします。
荷物を持とうか?と言って後でお金を請求する輩にも遭遇しました(はじめっからひっかかりませんよ、そんなの)。
どこの国でも一緒、イタリアはまだましなほうでした。
ローマはコロッセオ、スペイン広場、トレヴィの泉などを観光名所を回りましたが、当たり前ですがどこも私のような観光客だらけ、観光名所は人の少ない朝早めに行くのがお勧めです。
私はあまり人の多いところは好きではないので早々に立ち去ります。
これからはルネサンスの都、フィレンツェに向かいます。
駅で切符を買うのも最初は一苦労、日本の機械のように親切ではありませんが慣れるとどうってことありません。
フィレンツェ滞在中はちょうどW杯の日本戦の決勝トーナメントの初戦の日にちです。。。
気になる、気になる。。。
トレヴィの泉
ローマ市内の石畳
さて、成田からアリタリア航空に搭乗し12時間ほどの旅に出ました。
CAサンはラテン系の顔立ちで目鼻立ちがくっきり。
機内の放送は英語とイタリア語。
どんぶらこ、と揺られ、ローマ郊外のフィウミチーノ空港に降り立つと、カラッとした暑さ。
日本よりも暑かったですがやや湿気は少ないような気がしました。
空港駅からローマのテルミニ駅に向かいます。
空港からの電車は落書きだらけ。
敢えて載せませんが、電車の脇の塀にもそこいらじゅうにスプレーで落書き、大丈夫か、ローマ。
しかし、テルミニ駅を出るとローマは世界遺産の数が世界一、史跡が待っています。
ちなみにイタリアは観光大国だそうです。
かつてローマ帝国の栄えた街の道路は石畳。
全ての道はローマに通じる、と言われ、当時の面影がそこらじゅうに残っています。
やはり日本と違いヨーロッパは古きものがたくさん残っています。
宿はインド?パキスタン系の多く住む駅近くのホテルに日本から予約し、とりあえず一部屋85ユーロ、一泊予定です。
ホテル入り口のドアホンを鳴らすが、誰も出てこず、中から出てきたおそらくイギリス人の旅行者に聞いてやっとロビーが分かる。
2階の離れにあり、アパートと一緒になっているから分かるわけない、旅行者のイギリス人も分からなかったと言っていた。。。
フロントのお兄さんに、こんな案内では分からないよ!15分も待ったよ、と説教。
お兄さんは素直にごめんね、水あげるから許して、と。
次の日、ドアホンにはホテルの名前がきちんと書かれた紙が貼ってありました。
業務改善してくれたし、スタッフは笑顔で優しかったので印象はとてもよかったです。
私はある程度旅行英語は話せますが、こちらの英語はなまりがひどい人も多く聞き取るのも一苦労。
それから、イタリアはスリが多いと聞きました、どこでも回りに気をつけておりました。
声をかけてきたり、やけに近寄ってきたり、子供使って気を惹いたり、あらゆる手段でガードの甘い日本人を騙そうとします。
荷物を持とうか?と言って後でお金を請求する輩にも遭遇しました(はじめっからひっかかりませんよ、そんなの)。
どこの国でも一緒、イタリアはまだましなほうでした。
ローマはコロッセオ、スペイン広場、トレヴィの泉などを観光名所を回りましたが、当たり前ですがどこも私のような観光客だらけ、観光名所は人の少ない朝早めに行くのがお勧めです。
私はあまり人の多いところは好きではないので早々に立ち去ります。
これからはルネサンスの都、フィレンツェに向かいます。
駅で切符を買うのも最初は一苦労、日本の機械のように親切ではありませんが慣れるとどうってことありません。
フィレンツェ滞在中はちょうどW杯の日本戦の決勝トーナメントの初戦の日にちです。。。
気になる、気になる。。。
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